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アメリカの最大の悪事と汚点

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/24 00:11 ID:0dkqJfe5
いつからアメリカは汚れた国になったのでしょうか?

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 19:54:34 ID:MzMFutEP
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1092036061/

534 :世界@名無史さん :2005/08/15(月) 14:08:58 0
サイパン戦で生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の証言

・「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、
数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。

・次には滑走路に集まった老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火が付けられた。たちまち
阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我が兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に
晩行を続ける。

・火から逃れようとする老人や子供を、米軍はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、
銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。2人の米兵は草むらの中で泣いていた赤ん坊を
見つけると、両足を持って真っ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を
残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う鬼畜の米兵ども。

・こんなに優勢な戦闘状況にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。

・マッピ岬にたどり着いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串刺しにされた
婦人を見た。さらに自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて
倒れているのを眼前に見た。

『正論』平成17年9月号「NHKウォッチング」
中村粲・元獨協大学教授、昭和史研究所代表 

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:39:22 ID:O0/gNKIV
革命軍はジャングルを味方にゲリラ戦を展開したが、ついに1901年3月23日、
アギナルドは米軍に投降し、独立運動はあえなく消滅した。
このわずか2年間の戦闘で、アメリカ軍が投入した軍隊は12万人、戦死者4千人。
一方、アギナルドの革命軍の戦死者1万6千人。虐殺や飢餓などで死亡した一般住民は
60万人に及んだという。
欧米中心主義の歴史の教科書に、この史実が記載されることはない。
ただ、当時のアメリカの新聞には、フィリピンでの戦争状況を克明に伝える記事が掲載された。

「アメリカ軍部隊は無情で容赦なかった。男女を問わず、囚人・捕虜はもちろん、明らかな
反乱分子であれば容疑者であれ、10歳以上なら片端から殺しつくした」
「手をあげておとなしく降伏してきた捕虜たちは、暴徒であることを示す一片の証拠も
ないまま、一時間後には橋の上に立たされ、次々と銃殺されて川面を流されていった。
弾丸で蜂の巣にされた死体を、川下にいるであろう連中への見せしめにするためだ」
「これは文明人相手の戦争ではない。相手は、力・暴虐・残忍しか通じない連中なのだ。
われわれはだから、通じるべき手段で実行しているのである」

アメリカ人は、フィリピン人をインディアンと同じ黄色人種と見なしていた。そして、
インディアンを虐殺しても、文明人の良心的呵責を覚えなかったと同様に、フィリピン人
60万人を無差別に虐殺してもやはり良心の呵責をおぼえなかった。
どんなに自らの文明人ぶりを誇示しても、つまりは偏見に満ちた「優勝劣敗」、「弱肉強食」の
論理以外に何もないのである。
文明人の本性は残虐であり、その知恵は貧弱なのである。
20世紀初頭のアメリカ軍によるフィリピン独立運動鎮圧の酷たらしさは、「アジアでの最初の
ベトナム戦争」と批判する歴史学者もいるほどである。
http://homepage1.nifty.com/ckasa/mp/mypense80.html

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:51:03 ID:O0/gNKIV
ルーズベルト大統領(当時)の主席補佐官ウイリアム・レーヒー提督は、開戦後間もない
昭和十七年(1942年)一月に出した覚え書きの中で

日本の野蛮人と戦う際は、かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しな
ければならい。

という当時米国内で言われていた言葉を引用しました。


トルーマン米大統領はポツダムにおける対日戦争終結のための会議に出席中に
原爆実験成功を知り、それを日本に対して使用することを直ちに決断しましたが、
その際の日記に

このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、
残酷、狂信的だから

と記していました。相手を野蛮人と見なせば、又そういう理由にすれば
何をしても許されるという、人種差別、蔑視、偏見に基づく一方的な考え方でした。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1.htm

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:54:34 ID:O0/gNKIV
『オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略』 エドワード ミラー
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4105284010/503-5820896-0529509?v=glance&n=465392


559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 20:59:39 ID:cF5fp2Ll
サン・クリークの虐殺(1864年11月29日)における証言
「増補 米国先住民の歴史」
インディアンと呼ばれた人びとの苦難・抵抗・希望より引用

ジェームズ・D・コナー大尉の証言

「われわれがインディアンの宿営地の見える地点に着いたのは、11月29日の夜明けで
した。シビングトン大佐が攻撃を命じ、命令は実行されました。大佐の連隊は約1000人
でした。インディアンの村には100から130のテントがあり、私の見るところ、500人から
600人のインディアンがいて、その大半は女と子供でした。翌日現場に行ってみますと、
男、女、子供の死体は、どれもこれもみな頭の皮をはがされていました。死体の多くは、
これ以上むごたらしくはできないほど切り刻まれ、男女、子供の見境なしに生殖器が切り
とられていました。兵士の一人が、自分は女の生殖器を切りとって、棒に突きさしてみん
なに見せてまわったといっているのを私は聞きました。・・・・・・・私の知っている限りでは、
こうした残虐行為はJ・M・シビングトン大佐もご承知の上でなされたものですし、大佐が
残虐行為を押しとどめようとしたとは聞いておりません。次のようなことも耳にしました。
生後数ヶ月の赤ん坊が馬車のまぐさ桶に投げこまれ、そのまま引いていかれ地面に放り
だされて死んだそうですし、兵士たちが女性の生殖器を切りとり、鞍の全部においたり、
帽子の上に乗せたりして行軍したなどの話はいくつも聞きました。」
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeword/GhostDance.htm#1

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 21:01:20 ID:cF5fp2Ll
これが手始めとなり、その後の太平洋各地での戦場からベトナム戦争に至るまで、
米軍兵士による敵の遺体を冒涜する行為は、各地で続けられましたが、いずれも
人種的偏見、蔑視に基づく行為でした。
(その一)
ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉のジェームズ・ルーズベルトも加わっていた
カールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の死体を切り刻み、男根と睾丸とを日本兵の
口中に詰め込んだ。

日本兵を自分達と同じ人間とは見なさない連合国兵士による、死体や死にかけた
日本兵から金歯、耳、骨、頭皮、頭蓋骨などを収集し、戦果の証とする堕落した行為が
広く行われていたことも、米国民の間で戦時中からよく知られていた。

(その六)
ベトナム戦争においてもかなりの数のアメリカ軍兵士がベトナム人の頭蓋骨を収集して
いたが、アジア人がアメリカ人兵士の死体に対してこのようなことをすれば、アメリカでは
どんな反応が起きるかは、考えてみる価値があるだろう。
(米英にとっての太平洋戦争、下巻)
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1a.htm

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